あんな見事に不味そうなラーメン見たことある?(『最初の晩餐』)

まだ寒い雨の中、ギリギリ上映していた映画館に『最初の晩餐』を観に行きました。20年来窪塚くんがすきと言い続けている人間なので。なんであんな静かな顔ができるんだろう。どこか遠いところを見ているようなそんな表情がすきです。

 

 

「血も繋がってないのにわかったような口きかないで」

この類の主張にわたしは異議を申し立てたい。

血縁の物言いほど「勝手に言っとけ」と鼻で笑いたくなることはない。なぜか?図星を言われるからか?違う。血縁がいちばん「わかったような口」をきくからだ。おまえはこういうやつだと決めてかかりがちなのは血縁親族であり、お前の情報3年は古いけどなと心の中で中指を立てること100万回である。

では他人の指摘はどうか?これを一笑に付すことができないのは図星だからだ。己の持つ価値観とは違った角度から、えぐってくるのが他人だ。だから、大きくいうなら、全くの他人のことばは世界を変える力を持つことがあるとわたしは思う。

 

「最初の晩餐」は家族の話だ。

家族のあり方に、家族というものに疑問を抱いたことのあるすべての人に見てほしい映画だ。家族は、血の繋がりなんていう単純なものでできあがるのではないと、よく教えてくれる映画だ。

 

世界で一番許せない人がいる。死ぬまで許さないだろう人がいる。そう言う人ってたぶん、他人にはなかなかうまれない。そこまでの執着を持てることが稀だからだ。

 

父親が死んで、通夜の席にぎこちなく集まる家族。直情的な姉(戸田恵梨香)も斜に構えた弟(染谷将太)も、なにを考えてるのかわからない母(斉藤由貴)もあまりにもはまり役で笑ってしまった。

 

年の離れた兄弟を持つ末っ子というのは厄介だ。実体験での感覚なので全ての末っ子がそうとは限らないけれど、どうしたって大人からの疎外の経験が豊富になるのだ。子どもだから先に寝かされて、子どもだから詳細は知らされず、子どもだからまともに取り合ってもらえない。そうなると相手からのアクションは期待できないから、顔色を伺って空気を読んで、大人びたらいろんなことが煩わしくなって冷めた頭を持つようになる。

 

「なんで結婚しようと思ったの?家族なんて煩わしいだけじゃん」同意しすぎて心の中で首がもげそうになった。煩わしさを大なり小なり体験して大人になっているはずなのに、なぜひとは結婚しようと思うのか、家族を作ろうと思うのか。寂しいからか?寂しさなんて家族の中にあってもなくならなかったじゃないか。

明確な答えは誰もくれなかったけれど、「この人と一緒にいたい」たぶんそれに尽きるのだ。なんとかしようと努力し続けること、どうでもよくならないことでしかコミュニティは作れない。

食事の空間はその努力が顕著だと思う。何をテーブルに並べるか、何を食べるか、どんな会話をするのかしないのか。家族じゃなくても、なんなら飲みの場であっても。そこで食べた何が美味しくて何がまずくて、誰に美味しいと思ってもらいたかったか。

 

「お父さんの好き嫌いをお母さんは知っていたと思いますか」勧めたら観てくれた母からこんなメールが来た。観た直後は子どもたちと一緒に「知っとったな?!?!」となったけれど、はっきりとは知らなかったんじゃないかなとも思う。こどもの成長のために好き嫌いを我慢する父より、好きな人に好き嫌いが多いことを知られたくない格好つけ、と思うのがしっくりきたのだ。だってそっちのほうがばかばかしくて素敵じゃないか。

 

 

2020 1月末のメモより