髪あげてるミワちゃんかわいい (『クリムゾン・ピーク』)

『クリムゾン・ピーク』観てきました。
デルトロ先生がゴシックホラーを撮ったぞ!キャストも好みだし宣伝ビジュアルもめちゃくちゃ美しいぞ楽しみ!!!と、半年はウキウキワクワクしながら、ついに観に行きました。(ホラーダメだけど『MAMA』と『パンズラビリンス』は見れたし…)

主人公はアメリカ人のご令嬢イーディス。彼女は幼い頃に母を亡くし、母の亡霊を見るようになった。母はただ「クリムゾンピークに気をつけろ」と謎めいた言葉を告げるだけで、それが一体何を意味するのかすら教えてはくれない。
メアリー・シェリーを敬愛するイーディスは、自身も小説家を目指し、出版社に度々原稿を持ち込むが「女の書いた小説なんて」と男社会の壁はまだまだ高い。そんな彼女の元へ、成功を夢見るイングランドの没落貴族(準子爵)トーマスとその姉ルシールがやってくる。仕事人としてのし上がったアメリカンな父を持つイーディスは、イングランド貴族であるトーマスを毛嫌いするが、自分の小説を褒められてコロッと恋に落ちてしまう。2人はパパンに隠れて逢瀬を重ね、また逢瀬にはなぜか姉も付いてくる。姉弟はどうも日光に弱く、そしてどうも金狙いのようだが恋するイーディスは盲目である。
直感で姉弟を怪しんだ父は探偵ハーマン(仮)に2人を探らせ秘密を握る。手遅れにならぬよう即刻姉弟に手切れ金を渡しイングランドに追い返すも、何者かによって撲殺される。がしかし、父の不審死は滑って転んで洗面台の角に頭をぶつけた事故死として処理され、唯一の肉親を失い悲しみにくれたイーディスはアメリカを捨て、トーマスについていくことを決意する。
しかしながら、嫁いだ先は天井の抜けたボロボロの幽霊屋敷だった…!!しかもそこに暮らす夫とその姉は実は人間ではなくヴァンパイアで…。毎日まるで餌のごとく姉弟に貪られ消耗していく中で、なんとか活路を見いだそうとするイーディス。トーマスの愛を信じればいいのか、それとも自分はただの金蔓なのか。本当の敵は、亡霊とは、クリムゾンピークとはなんなのか…。乞うご期待!!!


以上が映画の前半、アメリカ舞台の時点でわたしが思い描いていたあらすじでございます。デタラメ。途中までは真面目に書いてますけどね。
鑑賞前は完全に姉弟はゴーストかゾンビかその辺なんだと思っていました。ヴァンパイアかなと思ったのは、途中で服の袖とか日傘とかサングラスとか、日光を気にしていそうなカットが入ってたからです。あとは虫です。美しい蛾として育つ前に死んで蟻に食われる云々をルシールが説明するシーン。美しいイーディスも喰われる(物理)運命なのよという例え話なのかと。デルトロ先生、蛾すきだよね。MAMAとかパンズラビリンスでも観た気がします。

以下、全編観たストーリーへの感想。
・ゴシックホラーとは
・めっちゃ物理(殴り合い)やん
・トムヒのママになりたい
・ヤリ○ンはほんとに死ぬんですね!



ホラーって物理攻撃が効かないタイプの映画のこと言うんじゃないんですか?事件が人間の手による物理攻撃なものはサスペンスじゃないんですか?

  1. ホラーえいが【ホラー映画】
    • horror picture》ショック・恐怖・戦慄をねらった映画。スリラー映画・オカルト映画と重なりあう部分が多い。

またひとつ知識が正されました…。ナマ言ってすみませんでした…。

「ゴーストがメインじゃないのよ。ゴーストはただ、過去のメタファーとして現れるだけ」というイーディスの解説は、そのまま映画本編に適用されます。ボロ屋敷でイーディスが出会うゴーストたちは皆、姉弟(もしくは姉)に殺された女たち。彼女たちは夜な夜なイーディスに泣きつくだけで、それ以外の怪奇現象には一切関与しません。蛇口から赤い水が出るのは呪いじゃなくてサビのせいだし、虫が大量に死んでるのは土地柄のせいだし、屋敷がボロボロなのはお金がないせいだし、何より重要な「雪が真っ赤に染まるクリムゾンピーク」は粘土質の土のせいだし!なんて、なんて非超常現象的なの!!!
その分際立つのはルシールの怖さです。劇中ほぼ無表情を貫くルシール。実弟トーマスに異様な執着を見せるルシール。ジェシカ・チャスティンの意地悪顔ほんと怖い。美しいから無表情の威圧感がすごい。
ブラコンサイコパスかよ…とがっかりしなくもありませんでしたが怖い。あんまり簡単にサイコパスというのもどうかなと思ったのでテルミーウィキペディアとたずねてみたら、
その特徴として
と挙げられたので、まあつまりルシールのことですね!幼い頃良心に冷遇され酷い折檻を受けていたらしいルシールは、幼い弟トーマスをこの世でいちばん美しいものと見なし、弟の受ける折檻も代わりに受けるほど溺愛し、結果、近親相姦の共依存関係に陥ったよう。なんでトーマスがそこから抜け出せないのか、母を殺した(殺させた)罪悪感なのか愛なのか、そこのところの心理現象がよくわからないしイマイチ納得できない。
イーディスと出会うまでにトーマスは3人の女性と金策のために結婚し、その度ルシールに服毒させられ殺されている。毎日のお茶に毒が仕込まれているから飲むなとイーディスに伝えるほど、イーディスを愛した/ルシールにうんざりしたトーマスは、最後の最後までルシールを捨て切れません。このヘタレっぷり、不幸っぷり、ダメ男の優男っぷりがトム・ヒドルストンははまりすぎです。余談ですがセックスシーンのミワちゃんは美しさに輝いてたしトムヒはおしりがぷりっぷりで心打たれました。あのシーンのGIFをください。
姉弟の所業を知り、己も殺されると知ったイーディスは、助けに来てくれた幼馴染と共に逃げようとします。トーマスは2人に手を貸し、ルシールにも改心しようと説得を試みますが、ブチ切れたルシールに顔面を刺され死亡。ルシールはイーディスを追いかけ「あなたかわたし、どちらかが死ぬまでやめないわ」と斧で襲いかかるんですが、そのスピード感、腕力諸々の動きが異常。完全に人外の域。女同士の殴り合いには結局イーディスが勝利して話は終わるんですが、そもそもルシールここでイーディス殺しても生きていけなくない…?トーマスが死んだら死ぬしかなくない…?大人しく部屋の中で死んでこいよ…。

なんでホラーって女なんですかね。男がおかしくても元をたどると母親が狂ってたとか。デルトロ先生だと『MAMA』でも男は全く役に立たないし必要上いるけど基本フレームアウトだし。嫉妬は女のものだからかしら。
ホラーと聞くと人外パワーの超常現象による、理屈の通らない恐怖モノを想像するんですが、実はそんなこともないんですか。今作については完全に肉弾戦だしヒス女は怖いという感想。恐怖がルシールに集約されてたので、ゴーストもイーディスママは大層怖かったけどビックリ慣れできてしまった。というかデルトロ先生のホラーはファンタジックごまかしハッピーエンドなんだな。わたしの希望としてはイーディスは幼馴染くんと結婚するけどお腹にはトーマスの双子がいます。

それにしても映像美。さすがです。眼福眼福。

以上!ひと月ほど前のメモより!



匂わせが一番 (劇場版『ハーモニー』)

間違えて『エクソダス』の感想消してしまった午前3時。

虐殺器官』制作続行決定おめでとうございます!!!!!!

個人的に大本命なのでね、楽しみです。

 

project Itoh第2弾『ハーモニー』も公開されましたね。

さっそく観に行ってきました。前回『屍者の帝国』を上映最終週に観に行ってしまったがために「正直もう1回観たい」欲を満たせなかった失敗を踏まえ、封切週で観に行きました。

 

屍者の帝国』っておもしろかったんだね!ぼろくそいったのはこちらです!

 

pe-ci.hatenablog.com

 

 

今回わたし久しぶりにお金払って映画観ながら欠伸が止まらなくなったよ!

以下原作既読ネタバレ有りのぼろくそ鬱憤発散文字列だよ!

 

 

 

 

まず何が許せなかったかと言うとキャラデザ。

トァンの赤髪もだしミァハが槙島さんすぎる。キャラクター的には逆だけれども。槙島さんがミァハなんだろうけども。「日本人と言われて想像する要望のマージンにはきっちり収まっているように見え」るんじゃなかったのか。ええ原作至上主義者ですとも!いやおまえ世の中のアニメみてみろ?ピンクとか余裕でおるぞ?ってそうなんですが、これだけ人の容姿の標準規格が著しく定まっている社会を描いてるんだからそこは違うでしょう。ヌァザパパも謎にブラックジャックだしな。なんで彼はああなってしまったの。ストレス?ストレスなの?あとヴァシロフはごく単純に「おれの思ってたヴァシロフちがう」でした。これは個人的過ぎるので仕方ないです。『屍者』でも観る前は気になったんですけど、あっちは観だすとそんなに違和感を感じなかったんですよね。何の違いなんだろうね。

 

前置きは終えて作品に入りたいと思います。

『屍者』を観た時に思いました。「次は百合本番だね!」

百合でした。

そもそも小説が百合ととれるんですね。だから百合を演出することに異論はないんです。というか、つくづく毎度思うんですが、原作ありきの作品はどうあがいても二次創作だしそれなら本気で二次創作すればいいのになんで中途半端に原作沿いにしたがるんですかね。クリエイターが原作至上主義である必要なんて欠片もないでしょう。問題はいかに面白い作品を作るかじゃないんですか。各方面に気づかいして面白いもの作れるほどクリエイターのみなさんは強いんですか。つまり何が言いたいかと言うと、最高の作品を作るために百合を選択したなら百合を研究し最高に面白い百合を作るんだと言う気概のもとで骨を組み肉をつけてくれよ!!!!!!二次創作が面白ければ仮令原作至上主義者でも認めざるを得ないんだよ!!!!!!その点『屍者の帝国』は奮闘しました。あれはBLとしてなかなか良作だと思います。『ハーモニー』のGLはただひたすらに下品です。

回想シーンにぶっこまれるミァハとトァンの性的表現。ハーモニクスによって意識が消滅する前に「わたしのすきなミァハのままでいて。愛してるの」とトァンが泣きながら銃をぶっ放すオチ改変には「はいーーーーーーーーー?????????」とうっかり心の声が漏れかけました。

トァンがミァハを愛している云々は良いのです。でもこのオチのつけ方だと、キアンはほんとに死ななくてよかったしそもそも子供時代を3人でいる必要がない。2人でよかったでしょう。

本来トァンがミァハを殺すのは復讐のためです。「あなたの肩に世界がかかっているの」と、「みんな」を守るヒーローの役を与えられようと、死ななくてもよかったはずのキアンとヌァザを殺したミァハに会ってなにがしかの結末を得たいというごくごく個人的な理由がトァンの行動のすべてであり、復讐は辿り着くために数多の回想と思考を繰り返したトァン自身による意志選択の結果です。小説において大切なのは、トァンが自分の頭で苦しみながら思い悩んでいるということ。のちの意識を持たない人物が自明ではないものを体験しているということです。劇場版での「自分の知っているミァハのままでいてほしい。だって愛してるから」というトァンの最後の欲望は思考停止の産物でしかない。思考停止した社会にトァンが埋没してしまう。それならそもそもこんなストーリーは産まれない。

もうほんと、このレズ設定が「乳揉んでるからレズだろ」からはじまってたらお前らぶん殴るからな。クレイジーサイコレズエンドならまどマギを見習え。意味はわからんでもあれは心に傷を残したぞ。レズにせよホモにせよグロにせよ、おっしゃおっちゃんやったるで!という明確な意識&研究がないまま要素的につっこむのはお互いのためにならないからやめてください。創作物でまでファッションメンヘラに用はないんです。

 

わたしの『ハーモニー』の読み方が、アイデンティティを主軸に置いた読み方をしていたので、劇場版は何を動線にしているのかさっぱりでした。頑張って言うとミァハへの執着か。project Itoh、いまのところそういうのほんと弱いですね。2作とも「わたしはにんげんである」というのがどういうことなのかしらと思い悩んでお手上げする話だと思ってたんだけどなあ。

 

それにしても今回も声優さんは豪華でしたね。上田さんはほんとネジのとんでる声だなあ。トァンとオスカーが揃うと完全に『PSYCHO-PASS』。オスカー、局長でしかなかった。

原作至上主義者としては、食事、喫煙、アルコール/カフェイン接種のシーンが一切登場しなかった点、初っ端からやけに馴れ馴れしい男が出てくると思ったらお前がウーヴェだったのか!という点、トァンが最後の旅を共にするのが六本足の山羊くんじゃなかった点が実に不満です。山羊くんの造形見たかったのに!「プライベートかぁ。淫靡でいいねぇ」って言ってほしかったのに!あと不思議だったのは日本語なのに『若きウェルテルの悩み』が左表紙だったこと。

そして結末部分は本当に不満しかない。あんなに美しくて、静けさに満ちているのに。直接的な告白なんてなくても、あんなにプライベートで淫靡なのに。纏め方が下品すぎる。

 

 

毎度のごとく眠気が襲っているのでこの辺で。そのうちまとめなおすかもしれません。

おやすみなさい。

知らない番号からの電話は出ない。(『スクリーム』)

はっぴーはろうぃーーん。

風邪っぴきなのにお酒飲んできました。わたしは普通に飲んでただけですが、街には巨神兵やらがいました。気合いの入った仮装はすきです。コスプレしてみた(笑)みたいなのはきらいです。ハンズとかドンキとかで売ってる感じのキャラつなぎ着といて「それって○○ですか?」「あ、ちょっとわかんないです、ははは」とか言ってる人はほんとお菓子巻き上げてやろうかって話です。

 

お酒をおいしくいただきながら『スクリーム4:ネクストジェネレーション』を観てきました。ほんとはね、昼に『ギャラクシー街道』を観る予定だったんですけどね、朝起きたらこれは映画館堪えられんなという喉の不調具合で行けず。「え、のんで大丈夫ですか?」とお店で聞かれる程度の病人ファッションで飲みには行きました。だってみんなに会いたかったしおいしいごはんが食べたかったんだもの!もううどんと雑炊の生活はいやだったんだもの!ひさしぶりのおにく!ひさしぶりのワイン!サイコ―!

『スクリーム4』はハロウィンホラー特集でたまたまお店で流れていただけなんですけど、友人ともどもガン見。無音の字幕映画をガン見。ホラーもスプラッタもサイコも苦手なのにガン見。

昔なにか事件があってその生き残りの主人公シドニーを中心とする関係者たちがぐっさぐさ殺されていくんですが、序盤で犯人予想がつきます。元彼くん、グルだと思ってごめんな。ちなみにウィキペディア先生に聞くと誰がどの順番で殺されて犯人が誰かまでがっつりキャスト欄に書かれてるから要注意だよ。

 

エンディングまでしっかりみたわたし「シドニーつおい・・・。」

エンディングまでしっかりみた友人 「ギャラクシーはクソだったけどスクリーム4は最高」

 

ググってみると『スクリーム』ってめっちゃ有名な映画なんですね。ごめんね知らなくて。ほんとホラーの類は不可侵なんです。特にジャパニーズホラー。カイダン、ダメ、ゼッタイ。

 

というわけで勢いだけで無印借りてきました。さっきお店でホラーだってわかったはずなのに何故かサスペンス棚にあると思い込んで探してたのにホラー棚にありました。な?いかにホラー見ないかわかったろ?以下、ホラー完全初心者の感想です。

オープニングから声にならないスクリームをあげました。モツはだめ・・・。いきなりモツでろんはだめだよ・・・。ていうかドリュー・バリモアいきなり死ぬのかよ・・・。めちゃくちゃかわいいもんな・・・。ナイフでぐっさぐっさ刺しまくるマスク野郎、やってることはめちゃくちゃえぐいしマスクも普通に怖いのになんなんだその愛嬌は。機械的殺人鬼じゃないからか。小首を傾げるなかわいいぞもっとやれ。

劇中にセックスしたら死ぬとか逆に処女は死なないとか死んだと思った殺人鬼はだいたい生きてるとか、その他「こういうフラグがあるよな。よし建てよう。」的な説明と展開でばっさばっさ死んで行きます。おまえらみんな映画大好きか。死体の扱いもね、木に吊ったりゴールポストに吊ったり車の上乗っけちゃったりなんやらかんやらで、なんか、殺人鬼お前余裕だなという芸の多彩さ。凶器は一貫してナイフだけど。あれ全部先輩方へのオマージュなんですか?ごめんほんとタイトルぐらいしか分かんないんですホラー。

そんなメタ発言のなかでいちばんすきだと思ったのは「動機?そんなのはしょうもなければないほどいいんだ」的なやつ。まさにランディは犯人を言い当ててしまう訳ですが、一方犯人たち、動機を問われて「『サイコ』の殺人に意味があったか?」と切り返しながら結局復讐だと言ってしてしまうあたりオメーはだめだビリー。その点ほんとに残念なスチュワートは良い。最期(たぶん)の台詞が「またママに怒れられちゃう」なのとかほんとにただのコンプレックス下衆野郎で良いと思います。

続編を観ているせいでシドニーだけは絶対死なないことを知っていたので彼女が襲われるシーンは怖いけど安心して観れました。

 

というより、シドニーさん、つおい(物理)

 

実は彼女は柔道有段者とかそういうアレなんでしょうか。めちゃくちゃつよいわシドニー。クライマックスで変声機使って電話し返すしマスク被ってビリーを傘で刺すとかなんなんですかその茶目っ気。心身ともにつよい。母親をレイプされ惨殺されたことへのトラウマは何処へ行ったんだ。

 

まだまだ言いたいことはいっぱいあるんですが、さすがに眠くなってきたのでそろそろおわります。

最後にゲイルと共闘するしなかなかさすがフラグ乱立映画だけあって拾い残しがなくおもしろかったです。ホラー観れたよ!結構びびってるよ!

 

結論

知らない電話には出ないし女は土壇場で怖いしヤリ○ン(ダブルミーニング)は殺されるから気をつけような。

 

元彼くんの殺され方が、無印と4だといちばん、ないモノが縮みました。

 

おやすみなさい。

BLアンソロがよかった(映画版『死者の帝国』)

あまりに文章を書かないのでリハビリにはじめました。

 

一発目なのに酷いタイトルですね。腐女子ブログではありません。

 

先週末project Itoh第1弾『屍者の帝国』を駆けこみで見てきました。

もうどこも公開終わったんかな。ネタバレ込み原作既読での感想をつらつら。

 

 

 

 

「求めたのは、21グラムの魂と君の言葉」(映画キャッチコピー)

「ただもう一度君に会いたかった!聞かせてほしかった!君の言葉の続きを!」(予告ワトソンくん)

 

この時点で「君って誰だよ」と首を傾げてはいました。冒頭3分(体感)でわかりました。

フライデーだったかー。やっぱハダリーではなかったかー。そっかー。

 

 

開始3分(体感)で「総員!原作知識を捨て置け!BLに備えろ!」と全身に指令を下し、

全編通じて「BLやん・・・」の結果。

 

 

映画版のワトソンくんはフライデーの魂を求めてウォルシンガムの任に就きます。全ては早逝してしまった親友フライデーくんとの約束を守るため。病に侵され死期を察していたらしい天才児フライデーくんは自分の死体を盗んで屍者化しろと言い、屍者化した自分が魂(記憶と同義なのかな)を持っていればこのペンでお前の鼻をツンツンして合図を送るから、と約束するのです。(あってるよね?)

なんや鼻ツンツンて。そもそもフライデーはコードネームとかでなく生前からフライデーなのか。それとも屍者化したときにワトソンくんが名づけたのかな・・・。なんかやだな・・・。なんにせよ設定が一から十までBLくさい。

 

原作は全然違います。

ワトソンくんとフライデーはエージェントとレンタルされた記録係でしかありません。友愛も親愛も情愛も本来はない。

原作だと魂の探求がメインだけど映画版はこのふたりの関係、というかワトソンくんのひとりよがりな欲望を主軸にしているらしい。

この設定変更が開始3分の総員以下略と叫んだ理由です。

 

 

 

ウォルシンガムからワトソンくんに課せられた任務はヴィクターの手記の捜索。

ヴィクターとはメアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』のヴィクター博士のことで、その手記には最初にして最高の屍者(生者のように動き思考する屍者)である”ザ・ワン”の製造方法が記されているらしい。新型屍者の製造に成功しているらしいアレクセイ・カラマーゾフがその手掛かりであり、フライデー(生前)にもう一度会いたい一心のワトソンくんは指令に従いアフガニスタンへ。合流したバーナビーと共に、ニコライ・クラソートキン(アリョーシャの弟子)の案内でアリョーシャのもとへ辿り着くわけですが

 

Q:なんでアリョーシャ死んだの?

A:BLだから

 

ちがう答えをください。

 

原作アリョーシャはロシア皇帝暗殺云々で死んだような気がするんですけど映画版はなんで死んだんですか?

生者を屍者化するという新型屍者の製造工程をワトソンくんに見せつけるためですか?生者を生きたまま屍者化するって、まあえげつないしワトソンくんが道中で鹵獲し解剖した屍者も生者の屍者だったわけだから罪の意識を芽生えさせるシーンかもしれないけど、

そもそも死体泥棒だからなワトソンくん。

 

三木眞とショタ(アリョーシャとニコライ)のBLメリバエンドを作りたかったとしか思えない。既に屍者化したドミトリィ兄に給仕させて美少年弟子ニコライと死に生きながら摂る食卓ってなにその病んだ欲望の具現化。

「ヴィクターの手記は必ず廃棄すると約束してください」っておめーがしろよ!!!なんでおめーは人間ニトロ爆弾やら婦女子の屍者化やら(帝国にやらされてたとしても)やるだけやって夢の国に飛ぶんだ意味わかんねえよ!!!

バーナビーはアリョーシャの結末を「落とし前をつけた」と納得しその遺志(手記の廃棄)を継がねばとなるわけですが、なんで彼らの屍者化が「落とし前」になるのかわたしにはさっぱりわかりません。生者の屍者化自体はクライマックスへの布石と捉えられるけど、

アリョーシャ、無駄死にじゃない?

 

ほんと、カイバル峠のシーンは「ぼくのかんがえたさいきょうのびーえる」でした。

三木眞とショタ、最高ですね。最高だと思います。二度言いました。

もう原作に固執せずにあのアリョーシャの物語をやればよかったんじゃないですかね。

 

 

カイバル峠からザ・ワンと手記を追って日本、アメリカ、イギリスと場所が移るわけですが、日本アメリカのくだりはつくりが雑だし、ワトソンくんの意識は全然ザ・ワンにむかないし、イギリス帰ってチャールズ・バベッジでのザ・ワン、Mとの対決に至っては、ぽかーんでしかない。

原作の第3部はわたしはあんまり理解できてないし、まあ作るのも困ったろうなとは思う。

が、そんな突然超常現象処理されても困りますよ。本来あったはずの伏線全部取っ払っていちばん意味わかんない暴走だけ持ってこられてもぽかーんですよ。

「何が起こってるかわかんないって?大丈夫!おれもわかんねえ!」じゃねえよ。

 

物語後半、「ヴィクターの手記」には何が書かれているのか、魂とは何かという問題迫るところだと思うんですが

原作的には手記に書かれていることは「わかんない」でいいんだと思います。

手記は解読できるしできないもので、物語を孕んだもの。でたらめでどうとでも組み替えることができるもの。そこから構成して物語化していく。

ザ・ワンハダリーの戦いはそのことばの組み換え合いだったんだろうし、小説を通してどのキャラクターが言っていることもある意味全部でたらめととれる。そもそもグレートゲームに実在/非実在のキャラクターを意味ありげに登場させ意味ありげに関連させて作られたそのでたらめさが全てなんじゃないかと。

人間がでたらめなところに「これは何か意味があるんだ!」と再構成したがる姿を体現した小説だと思うし、そうやって構成していく能力を、魂と呼んでいるということなんじゃないかと

今のところ考えています。

人間は無からの創造はできないから。

だからラストシーン、ワトソンくんの記録係の任を解かれたフライデーがそれまで「書き連ねてきた数多の文字を拾い集めて並べ直し」文章を綴る意識を発現させるのに納得がいく。

 

ただ映画版は、

ワトソンくんの行動も手記やザ・ワン、ライティングボール等から逸れてる(どうみてもフライデーしか見ていない)し、そういう原作にある魂とは何ぞやと思考する場面をだいたいカットしていて

ワトソンくんは割とお手軽に手記を「解読できた!」とか言ってるしサンフランシスコでフライデー(生前)の意識が確認されて約束の鼻ツンしてるのにラストシーンではどうも別の人格(原作的人格)が生まれてるし、なにがなんだか。

というか意識(生前)を認めた上でフライデーの自害を止めるのはどうなんだよ。ワトソンくんそれはただのひとりよがりな自己愛じゃないか。

 

まあ主軸がワトソンくんとフライデーの関係に移行しているから魂云々はどうでもいいのかな。

鼻ツンの約束は果たされたわけだしな。ただしそうするとホームズの登場は本当に蛇足だったと思います。エンドロールでまだ登場していないホームズのCV流すのは卑怯だ。

 

 

いまここまでつらつらと書きながら、つくづく意味わかんない映画だったなと思ったしここまで読んで下さった方がいたとしたら本当に申し訳ないくらいに訳の分からない文章だったと思います。ごめんなさい。だってがばがばなんですほんと。

もう公開最終週やし、まあガラガラやろと余裕こいてカフェにしけこみぎりぎりにチケットとったらほぼ満席で「え、なに評判良いの?」と期待度をあげたらこのザマです。

脚本にお腐れ様がいたとしか思えないがばがばBL二次創作なんです。

だってキスできないし。ザ・ワンさえ花嫁を取り戻せないという徹底ぶり。

もしかしてアリョーシャとニコライはワトソンとフライデーに対比されてたのかな。屍者化して死ぬカップルと屍者化して生きるカップル・・・?フライデーが無駄に若いのはそういうことか・・・。

 

キャストは豪華だし、絵もきれいだしカイバル峠への旅路背景は最高にきれいだったし屍者たちのフランケンウォークもとっても良かったし、ノーチラスの造形とかほんと笑ったし

なにより三木眞とショタは最高だしBL映画だと思えば最高だったかもしれない。ストーリーはがばがばだけど。仕方ない。BLアンソロジーだもの。くそだなって思ったけど、BLだと思えばなかなか良作だった。満席で絶対に笑ってはいけない耐久レースしたもの。うん。DVDでたらもう一回見ようかなと思ってるしおもしろかったんですね。

でも山澤静吾を雑に扱ったのだけは許さんからな。それだけは絶対許さんからな。

 

結論。

屍者の帝国』BLアンソロとして原作沿い二次よりアリョーシャの物語が見たい。

 

長々とお付き合いありがとうございました。