匂わせが一番 (劇場版『ハーモニー』)

間違えて『エクソダス』の感想消してしまった午前3時。

虐殺器官』制作続行決定おめでとうございます!!!!!!

個人的に大本命なのでね、楽しみです。

 

project Itoh第2弾『ハーモニー』も公開されましたね。

さっそく観に行ってきました。前回『屍者の帝国』を上映最終週に観に行ってしまったがために「正直もう1回観たい」欲を満たせなかった失敗を踏まえ、封切週で観に行きました。

 

屍者の帝国』っておもしろかったんだね!ぼろくそいったのはこちらです!

 

pe-ci.hatenablog.com

 

 

今回わたし久しぶりにお金払って映画観ながら欠伸が止まらなくなったよ!

以下原作既読ネタバレ有りのぼろくそ鬱憤発散文字列だよ!

 

 

 

 

まず何が許せなかったかと言うとキャラデザ。

トァンの赤髪もだしミァハが槙島さんすぎる。キャラクター的には逆だけれども。槙島さんがミァハなんだろうけども。「日本人と言われて想像する要望のマージンにはきっちり収まっているように見え」るんじゃなかったのか。ええ原作至上主義者ですとも!いやおまえ世の中のアニメみてみろ?ピンクとか余裕でおるぞ?ってそうなんですが、これだけ人の容姿の標準規格が著しく定まっている社会を描いてるんだからそこは違うでしょう。ヌァザパパも謎にブラックジャックだしな。なんで彼はああなってしまったの。ストレス?ストレスなの?あとヴァシロフはごく単純に「おれの思ってたヴァシロフちがう」でした。これは個人的過ぎるので仕方ないです。『屍者』でも観る前は気になったんですけど、あっちは観だすとそんなに違和感を感じなかったんですよね。何の違いなんだろうね。

 

前置きは終えて作品に入りたいと思います。

『屍者』を観た時に思いました。「次は百合本番だね!」

百合でした。

そもそも小説が百合ととれるんですね。だから百合を演出することに異論はないんです。というか、つくづく毎度思うんですが、原作ありきの作品はどうあがいても二次創作だしそれなら本気で二次創作すればいいのになんで中途半端に原作沿いにしたがるんですかね。クリエイターが原作至上主義である必要なんて欠片もないでしょう。問題はいかに面白い作品を作るかじゃないんですか。各方面に気づかいして面白いもの作れるほどクリエイターのみなさんは強いんですか。つまり何が言いたいかと言うと、最高の作品を作るために百合を選択したなら百合を研究し最高に面白い百合を作るんだと言う気概のもとで骨を組み肉をつけてくれよ!!!!!!二次創作が面白ければ仮令原作至上主義者でも認めざるを得ないんだよ!!!!!!その点『屍者の帝国』は奮闘しました。あれはBLとしてなかなか良作だと思います。『ハーモニー』のGLはただひたすらに下品です。

回想シーンにぶっこまれるミァハとトァンの性的表現。ハーモニクスによって意識が消滅する前に「わたしのすきなミァハのままでいて。愛してるの」とトァンが泣きながら銃をぶっ放すオチ改変には「はいーーーーーーーーー?????????」とうっかり心の声が漏れかけました。

トァンがミァハを愛している云々は良いのです。でもこのオチのつけ方だと、キアンはほんとに死ななくてよかったしそもそも子供時代を3人でいる必要がない。2人でよかったでしょう。

本来トァンがミァハを殺すのは復讐のためです。「あなたの肩に世界がかかっているの」と、「みんな」を守るヒーローの役を与えられようと、死ななくてもよかったはずのキアンとヌァザを殺したミァハに会ってなにがしかの結末を得たいというごくごく個人的な理由がトァンの行動のすべてであり、復讐は辿り着くために数多の回想と思考を繰り返したトァン自身による意志選択の結果です。小説において大切なのは、トァンが自分の頭で苦しみながら思い悩んでいるということ。のちの意識を持たない人物が自明ではないものを体験しているということです。劇場版での「自分の知っているミァハのままでいてほしい。だって愛してるから」というトァンの最後の欲望は思考停止の産物でしかない。思考停止した社会にトァンが埋没してしまう。それならそもそもこんなストーリーは産まれない。

もうほんと、このレズ設定が「乳揉んでるからレズだろ」からはじまってたらお前らぶん殴るからな。クレイジーサイコレズエンドならまどマギを見習え。意味はわからんでもあれは心に傷を残したぞ。レズにせよホモにせよグロにせよ、おっしゃおっちゃんやったるで!という明確な意識&研究がないまま要素的につっこむのはお互いのためにならないからやめてください。創作物でまでファッションメンヘラに用はないんです。

 

わたしの『ハーモニー』の読み方が、アイデンティティを主軸に置いた読み方をしていたので、劇場版は何を動線にしているのかさっぱりでした。頑張って言うとミァハへの執着か。project Itoh、いまのところそういうのほんと弱いですね。2作とも「わたしはにんげんである」というのがどういうことなのかしらと思い悩んでお手上げする話だと思ってたんだけどなあ。

 

それにしても今回も声優さんは豪華でしたね。上田さんはほんとネジのとんでる声だなあ。トァンとオスカーが揃うと完全に『PSYCHO-PASS』。オスカー、局長でしかなかった。

原作至上主義者としては、食事、喫煙、アルコール/カフェイン接種のシーンが一切登場しなかった点、初っ端からやけに馴れ馴れしい男が出てくると思ったらお前がウーヴェだったのか!という点、トァンが最後の旅を共にするのが六本足の山羊くんじゃなかった点が実に不満です。山羊くんの造形見たかったのに!「プライベートかぁ。淫靡でいいねぇ」って言ってほしかったのに!あと不思議だったのは日本語なのに『若きウェルテルの悩み』が左表紙だったこと。

そして結末部分は本当に不満しかない。あんなに美しくて、静けさに満ちているのに。直接的な告白なんてなくても、あんなにプライベートで淫靡なのに。纏め方が下品すぎる。

 

 

毎度のごとく眠気が襲っているのでこの辺で。そのうちまとめなおすかもしれません。

おやすみなさい。